台風8号災害の経緯
8月8日、南台湾では豪雨が止まず、夜8時過ぎ、嘉義県、台南県、高雄県の一部地域で浸水が始まった。
8月9日午前6時、楠梓渓上流、標高1600メートルの献肚山の中腹が崩落し、下方の甲仙郷小林村が瞬時に土砂に覆われた。住民300人余りが今も行方不明のままである。
屏東県の3分の2は水に浸かり、水深は平均1メートル、最も被害の大きかった佳冬郷では2階まで浸水した。
山地では、台東県知本温泉の商店10棟が川に流され、6階建ての金帥大飯店は、多くの人が見守る中、午前11時38分に知本渓の濁流に倒れた。
8月10日、通信が途絶えていた山地から次々と被災状況が伝わってきた。多くの人が孤立した状況で救援を待ち、死傷者の数も急速に増えたが、山地の豪雨は止まなかった。
8月11日、悪天候の中、救助に向った内政部空中勤務総隊のヘリが霧台郷で墜落し、乗員3人が殉職した。
8月12日、各界から義援金や救援物資が寄せられる。企業からの義援金は25億元、一般市民からは12億が集まった。
8月13日、山地の気候がようやく好転し、軍の特殊部隊452人が8つのルートに分かれて高雄県の甲仙郷や桃源郷、嘉義県の阿里山郷、南投県の信義郷などの被災地に入り、捜索と救助を行なった。
8月14日午前10時、馬総統が国家安全会議を開き、救援救助システムの検討と災害復旧委員会設置などに関わる9項目を決定した。
正午近く、南投県名間郷の水上レスキュー隊が濁水渓で遭難者の捜索中に、ゴムボートが転覆し、ボランティア消防団員の張瑞賢が殉職。
8月15日、軍は阿里山に孤立していた人々をヘリで救出。高雄県六亀郷新開集落に入り、3階まで埋まった土砂の中からの被災者捜索を開始。
8月16日、外国からの救援物資が続々と届き始める。
8月17日午後、米軍のヘリが到着、重い救援機材の被災地への運搬を支援。
8月18日、馬英九総統が記者会見を開き、救助活動の遅れと混乱に関して正式に国民に謝罪し、救援活動が一段落したら行政上の過失を徹底的に調査し、責任を追及するとした。
8月25日現在、台風8号による死者は292人、行方不明385人、家を失った人は7000人余りに達し、50年前の「八七水害」に次ぐ大災害となった。さらに70の橋が流され、358ヶ所で道路の基礎が崩落し、農林漁業の損失は158億元を超えるなど、いずれも過去最悪を記録した。
山は完全に姿を変え、瞬時にして生と死の世界に別れた。小林村を覆いつくした土砂の中から行方不明者を捜索するレスキュー隊。