微生物肥料の誕生
南投県国姓郷の農家出身の楊秋忠は、1980年に帰国してから中興大学で教職に就き、微生物肥料の研究に取り組む。80年代は化学肥料や農薬使用の最盛期で、化学肥料の欠点ばかり挙げると農家に嫌われた。そこで、「手入れ」の面から土壌劣化の問題を説き、有益な菌と有機質肥料の使用を増やすよう勧めてきた。土壌ケアを訴え、果物を甘く美味しくする肥料の使い方を講義して台湾全土を回り、講座は600回を超えた。
土壌の基礎は土壌微生物にある。楊秋忠は微生物肥料で有機肥料に活路を開こうと考えた。だが当時、学術界は微生物肥料を認めなかった。それは、窒素固定菌と共生するマメ科の作物を除き、微生物肥料は、含まれる窒素‧リン‧カリウム等、肥料となる元素の含有量が低かったからである。だが楊秋忠は「植物の養分利用を促進できるのが肥料」だと考えていた。
正しいからにはどんな敵にも立ち向かう覚悟で、楊秋忠とチームは、一歩一歩研究を進めた。鉢植えやフィールド試験から始め、成果を技術移転し、業界で「微生物肥料」の生産を指導した。一から始めて30年かかった。更に政府に働きかけ、微生物肥料産業の法整備を支援し、微生物肥料の登録管理の法的根拠を確立した。楊が執筆した『土壌と肥料』は土壌学会の聖典となり、英語‧韓国語‧マレーシア語に翻訳され、改訂を重ね第十版が発行されている。
微生物から酵素へ
2010年に「微生物肥料」の戦いを終えた楊秋忠の新たな戦場は「酵素反応剤」であった。
従来の堆肥製造は微生物を用いて、生ゴミ‧動物の糞尿、樹木の枝葉等の有機質廃棄物を処理していた。その過程では絶えず攪拌し水を散布し、空気と適切な温度‧湿度を保って微生物が繁殖しやすくして、分解を促進する。汚くて臭いうえに、分解には広い空間と長い時間を要する。
なぜ微生物の代わりに酵素を使おうとしたのか、わかりやすい例で説明してくれた。昔の戦争は兵士が前線で戦うが、兵士には食糧も訓練も要る。微生物は兵士と同じで、生ゴミの分解に早くて1ヵ月、枯れ枝なら6ヵ月かかる。ところが微生物が作る酵素を取り出すと、それは働くたんぱく質だから、目標に照準を合わせて直接攻撃するミサイルとなる。こうして、酵素反応剤が、有機廃棄物に命中するのである。
桃園市で回収された生ゴミのうち、毎日約60トンが酵素処理法で有機肥料へと生まれ変わっている。