武を学ぶには、まず徳を学べ
李智仁のジムでは脚を重視する。「脚こそムエタイの基礎」だからである。下半身が安定していればこそ、強いパンチが打ち出せる。医学的にも、全身の筋肉の7割りは下半身にあり、太腿の筋力を鍛えることによって血流が良くなり、訓練に必要な体力も保てるのである。
下半身の力がついたら、李智仁は一対一のミット打ちを行なう。一回のトレーニングで20人余りの生徒を相手にすれば怪我をすることもあるが、生徒一人ひとり欠点が違うので、自らミットを手に教えていく。従って、仁李泰拳館では、決まった教え方はなく、生徒それぞれに合わせた方法で教えていく。
李智仁のモットーは「芸を学ぶにはまず礼を、武を学ぶにはまず徳を学べ」というものだ。師を尊敬しない者や邪心のある者は、李智仁は門下に入れない。
攻撃的な人も、ムエタイの基礎を習う過程で「心の克服」を学ぶこととなる。コーチの黄于修は中学の時に太極拳を習っていたので、自分は強いはずだと思っていた。そこでムエタイ・ジムに入るとすぐに他の選手に挑戦したが、散々な負け方をしてしまい、ゼロからやり直すことになった。7年間ムエタイを学んできた今、「ムエタイで学んだのは生活の態度です。以前より落ち着いて思考するようになりました。戦いは恐れませんが、避けるようにしています」と言う。
「先生は私たちに倫理を守り、親孝行するよう教えてくれます」と話すのは「邱兄さん」と呼ばれる邱訂助だ。彼は、自分は李先生の一番古くからの教え子だと言い、李先生は武術だけでなく、人としてさまざまな面で尊敬できる人だと言う。だからこそ、門下生がたくさんいる。中には裁判官や軍人、要人の警護員や警察官もいる。
国際大会に積極的に参加
「ムエタイは実用性を重んじるので、実践が必要です」と李智仁は言う。一人で練習しているだけでは技術も知恵も伸びないため、李智仁は生徒たちに内外の試合に積極的に参加させている。何回も試合に出ている生徒は「より深く自分を知ることができます。自分に分かることは非常に少ないこと知り、謙虚になりました」と言う。
28歳の侯怡君(女性)は機敏に動き、ジムに入った頃は体重が85キロもあったとは想像できない。コーチから「試合に出ないか」と言われたことで必死に練習し、一年後には57キロまで減量した。「試合で一番苦しいのは減量です。人が好きなように食べているのを前に、自分は水しか飲めないのですから」と言う。だが、試合に勝利した時は、そんな苦労も消し飛んでしまう。
もう一人、仁李泰拳館の優秀な選手、羅啓栄は、2012年に香港で開かれたSupreme Fight Championshipで決勝まで進み、香港の王者・陳啓迪とアジアのゴールドベルトを争った。陳啓迪はムエタイの世界アマチュアチャンピオンで、技術も気迫も羅啓栄に勝っている。「それでも羅啓栄は最初から最後まで互角に渡り合いました」と、李智仁は羅啓栄の準優勝を称える。
ムエタイの精神を実践
ムエタイと同じように論じられることの多いサンダの試合は、3ラウンド制で2ラウンド先取した方が勝利するが、ムエタイは違う。ムエタイは5ラウンドで戦われ、最後の1ラウンドで勝敗が決まる。それまでの4ラウンドで連敗していても、第5ラウンドで勝った方が勝者となるのである。そこにはムエタイの「意志を貫く」という精神が現われている。「勝負は最後で決まるのです」と李智仁は言う。
最近入門した荘福仁は「練習はつらくて、私はストレッチだけで痛くて泣きそうになります」と言う。高血圧の彼は健康のためにムエタイを始めたところ、わずか4ヶ月で症状はコントロールでき、医者も降圧剤の量を減らしてくれたという。辛い練習にも耐えているのだから、仕事や生活で耐えられないことなどないと言う。
ムエタイを台湾から世界へ
時代が移り変わるに連れ、ムエタイ普及の方法も変わってきた。李智仁はしばしばスポーツジムに招かれて指導を行ない、孤児院などで試合前に行なう踊り「ワイクルー」を教え、また大学短大のムエタイ部の顧問も務めるなど、より多くの人がムエタイに触れるようになった。その名は世界にも知られており、日本やフランス、スペインなど20数ヶ国から教えを請いに来る人がいる。
李智仁は、台湾を終の棲家としており、ムエタイ指導はその暮らしのすべてである。毎晩、トレーニングが始まると、生徒たちの汗と熱気が湿布薬の匂いをかき消す。昨日のトレーニングの傷はまだ癒えていないが、李智仁はムエタイの精神で意志を貫いていく。