キュレーター:アリマン
アリマンはLong先生のように皆を笑わせる人ではない。静かに園内を見回り、palihansiap(討論室)のソウシジュで作った椅子に座り、厳しい表情で来訪者の動きを観察する。
palihansiapはブヌン語で話し合いを意味し、台湾最大の茅葺の建物である。今(2020)年3月に新型コロナウイルスで来場者が減少した時、アリマンが一ヶ月をかけてスタッフとともに手作業で建てたものだ。「私たちブヌンは昔の戦にしろ、今の建築にしろ、palihansiapの精神で長老に教えを請います」とアリマンは言う。
アリマンは東華大学エスニック関係・文化大学院で修士論文を書いていた時、地域の長老たちを訪ね歩いて資料を集めた。「地元の観点からブヌンのIsdaza(内本鹿)の歴史を見直したのです」日本統治時代、標高1000メートルの針葉樹林に暮らしていた内本鹿のブヌン族は、強制的に標高500余メートルの山麓、現在の台東県延平郷に移住させられた。当時は強制的な移住政策に反発して、激しい抗日行動も行われたのである。
アリマンは自分たちの歴史を深く研究し、また原住民テレビの記者や台東大学環境教育センターの助手、南島コミュニティカレッジの専門員などを務めた経験もある。そうした中、集落の地図を描いたり先住民族のニュース番組を制作する過程で、多くの先住民族が誘惑に負けて土地を売ってしまい、最後には何も残らないという現状を見てきた。また企業による開発で、砂や土壌が掘り尽くされてしまうという残酷な現実もある。そこで17年前、企業が設計図を手に風水師を率いて土地の下見に来た時、自宅を建てるために銀行から借金したばかりの彼は、同じ歴史を繰り返してはならないと思い、鹿野農協や中小企業銀行から資金を借り入れ、今の森林博物館の土地を買い取ったのである。
一千万元にのぼる借金返済のプレッシャーは大変なものだ。これまで8回も家と土地を差し押さえられそうになり、妻は離婚すると言い、子供の学費が払えなくて卒業証書ももらえなかった。人生の逆境の中で、彼は正しいことを貫き、時間をかけて自分の正しさを証明してきたのである。
「一線天」はフィリピン海プレートの力が生み出した海岸山脈特有の地形である。