舞台から映画へ
ニューヨークタイムズは、この作品を「中華圏で最も人気のある作品」と称える。1991年、1999年、2006年、『暗恋桃花源』は台湾の舞台に帰って来た。さらに1992年には舞台を抜け出して映画化もされ、世界的な映画祭で数々の賞に輝いた。
映画版と言えば、林青霞(ブリジット・リン)を忘れることはできない。彼女は1991年に舞台の方にも出演した。当時39歳だった彼女は18歳の「雲之凡」を違和感なく演じ、清純なイメージが印象的だった。その翌年に彼女が出演した映画版は、金馬賞、ベルリン国際映画祭、東京国際映画祭、シンガポール国際映画祭などで高く評価され、24年前に2000万元の興行成績を上げた。
頼声川に、この作品で一番好きなシーンを聞くと、それに答えるのは難しいと言いつつ、「どうしても選ばなければならないなら、最後の病室のシーンでしょう。創作の段階でも舞台でも、ここは忘れられません」と言う。
創作当時、このシーンは丁乃竺(雲之凡役)と金士傑(江浜柳役)が頼声川の指示の下で一度で即興劇を完成させた部分だ。それは芸術的にも構造が整った見事なものだった。頼声川は、このシーンは何百回見ても今も涙が出るという。
劇団創設から30年、表演工作坊は2016年8月に台湾に戻り、30周年記念バージョンを打ち出す。丁乃:مが演出を担当し、中堅の<ش光耀、朱*ى<|、屈中恒、唐従聖らが出演する。
「この作品が若い世代によって解釈されることをうれしく思います。特に丁乃:مは長年にわたって春花を演じ、映画版にも出演し、また多くの演出も手掛けているので、きっと独特の見解を持っていると思います。それに加えて、台湾で最も優秀な舞台俳優たちが演じてくれるので、本当にうれしく思います」と頼声川は言う。中でも屈中恒は若い頃からずっと袁老ءپをやりたがっていたが、その夢がついにかなった。
表演工作坊は31年目を迎えたが、頼声川の創作への思いは初めからずっと変わらないのだろうか。頼声川は、そうとも言えるし、そうではないとも言えると答える。「終始一貫しているのは、常に自分が関心を持っていることを表現し、観客にプレゼントをしたいということです。作品の題材は80年代には政治や社会の動きが中心でしたが、2000年の『如夢之夢』以降は、心を中心に据えています。これは変ったことの一つです」
台湾では民主化の過程で演劇が重要な役割を果たした。当時の演劇や劇場は戒厳令時代におけるフォーラムのような存在だったと多くの人が言う。表演工作坊の芝居にも、確かにこのような働きがあった。
今は台湾の民主主義も成熟したが、頼声川は、すでに批判といった形で政治を変えることはできなくなっており、すべては心の変化から始める必要があると考える。
表演工作坊は斬新で深みのある演劇文化をもたらし、新たな市場と新しい観客、そして文化クリエイティブ産業を生み出した。(左上は『暗恋桃花源』の明華園版、下は同映画版)