台湾の音楽の世界で、今バンドがブレイクしている。その始まりは去年の金曲賞だった。
2000年の台湾最大のポップ音楽賞と言えば金曲賞だが、最優秀グループ歌唱賞はこれまでのデュオ主流が一変して、ノミネートは全てバンドだった。授賞式でもバンドが舞台を独り占めして、乱弾、脱拉庫、五月天、四分衛、花児と五つのバンドのライブが行われ、熱気あふれるパフォーマンスが授賞式を盛り上げた。受賞バンドの乱弾のリードボーカル陳泰翔さんは、受賞スピーチで台湾にもバンドの時代がやってきたと、高らかに宣言した。
陳泰翔さんの宣言が、台湾のバンドブームの引金を引いたのかもしれない。去年の夏に遊園地で開催された野外コンサートは6年目になるが、これまでより多くの観客を引きつけたし、角頭レコード社が福隆海水浴場で開催した「国際海洋音楽祭」では、台湾内外の主流、非主流のバンド12組が6時間連続ライブを行った。さらに7月に開催された「世紀のバンド・ロック・コンサート」では、今最も人気の五大バンド、乱弾、脱拉庫、五月天、四分衛、董事長が台北の中正記念堂前広場に集結し、そのロックに惹かれて数万の観客が集った。
大規模なバンド・コンサートが暑い夏の空を焦し、中国人のロック・ミュージック・シーンにはかつてなかった観客動員数記録が打ちたてられた。ポップ・ミュージックのレコード発行枚数が急増、レコード店にはバンド専用コーナーが設けられ、人気バンド、アングラ・バンド、コンサート・ライブなどと分類される。中でも一番人気が高いのが五月天で、去年の二枚目のアルバム「愛情万歳」は、売上低迷のレコード業界で珍しく20万枚の大ヒットとなったのである。
バンド人気で、キャンパスのアマチュア・バンドも急増している。東呉大学音楽愛好クラブの楊珮君部長によると、以前だったら80人くらいしか集らなかったのに、去年の秋の入学シーズンには150人も入部希望者が殺到したそうである。音楽愛好クラブは、キャンパスの人気クラブとなった。
「バンド人気がアマチュア・バンド結成のブームを呼んでいます。新入生はまだ楽器ができないのですが、脱拉庫や五月天など学生バンドもゼロからスタートしたのですから、みんなロックのサクセス・ストーリーを夢見るわけです」と楊部長は続ける。
金曲賞受賞が弾みをつけ、主要なレコード会社がブームを盛上げ、コンサート動員数の急増などがあり、それがこのバンド・ブームを支える理由なのだろうが、多様化する周囲の環境に足並をそろえるように、新しいバンドも多様な音楽のスタイルを見せる。有力紙「民生報」のポップ音楽担当ベテラン記者王祖寿さんによると、今のバンド・ミュージックはハード・ロック、ブリティッシュ・ロック、デスメタルなど、いろいろなスタイルが見られると言う。
レコード売上1位の五月天はボーイ・バンドのスタイルで、音楽的にはリリカルなハード・ロックといったところだろうか。それが若者の好みにマッチし、カラオケでも歌いやすい。単純明快な歌詞で現代の若者の愛情を描き(例えば「春嬌と志明」、「ロミオとジュリエット」などの曲)出し、また微妙な心理描写(「ナンバーワンと呼んでくれ」など)が学生を主としたファンの共感を呼ぶ。
「俺みたいな奴何がになる。ごみ収集車に抛りこめ。こんな奴何になる。映画見てはコンビニ、カラオケ。寝ては食い、食っては寝て、遊びほうけて、勝ち負けなんてどうでもいい。ラララ、頑張ればうまくいくもんか。ラララ、名前を聞くならナンバーワンと呼んでくれ」(五月天の「ナンバーワンと呼んでくれ」)
若いうちだからこそ遊ぼうと言う生き方が、カラオケでは支持されているのである。
同じく学生バンドである脱拉庫は、青春爽やか路線とでも言おうか、ちょっと甘く爽やかで、ユーモアも十分と言ったスタイルは、すでに成熟した創造性をもつ。アルバムのリリース前には人気歌手藍心湄に「あなたの電話」と言う曲を書いていたし、去年の金曲賞での評価成績を見ると、乱弾の次に位置しているそうである。
乱弾と四分衛は1990年代の中ごろに結成されたバンドの古顔である。ポップスから始め、ヘビメタのコピーをやっていた。当時のアングラ・バンド・ブームの影響を受けて、社会批判の雰囲気が濃厚なために、やや難解な曲作りになっているが、演奏も編曲テクニックも確かなものがある。
「理想のためと俺たちは人でなしになった。さあ、世界にこの珍しい病を展示しよう。あんたの神経に気に入られることもないけれど、俺は生憎鳥肌ぞくぞく。俺は言うほどろくでなしじゃない。便器のクソじゃない」(四分衛の「破銅爛鐡」)
四分衛の方がより辛口の批判を展開し、硬派のイメージがあって、普通の人がバンドに抱くシャウト、批判と言った印象にあっている。
すでに多くの音楽賞を受賞している乱弾は、台湾では最もクリエイティブなバンドと言われる。その結成の目標は「台湾の音楽」創造にあり、伝統的な北管音楽の様式をロックに取り入れながら無理がない。音楽評論家の陳宝旭さんはその音楽を「台湾固有の音楽に根ざし、これに西洋のロックの様式を混ぜあわせ、生活経験の中から生れた歌詞が加わって、素朴ながら繊細、しかも十分エネルギッシュな音楽のスタイルを生み出した」と評する。
大手レコード会社に所属するバンド以外にも、プライベート・レーベルやレコードを出していないものの人気が広まっている「閃霊」や「夾子」などのアングラ・バンドもいる。
閃霊はデスメタル系で、舞台でのビジュアルは死装束と、異様な雰囲気がある。歌詞は政治的な比喩に満ちていると共に、日本の漫画の偶像化スタイルを取り入れている。バンドの中でも独特なために、熱狂的なファンを持つ。リード・ボーカルの仏来敵に言わせると、プライベート・レーベルで発行したアルバムが常に数万枚売れていて、主なレコード会社が宣伝しているバンドよりいいという。
夾子はアルバムこそ出していないが、アングラ・バンドの世界では注目を集めている。彼らのスタイルは台湾伝統の流しの音楽を元にしており、これに往年の人気歌手高凌風が歌う時についていた「阿珠と阿花」のようなバック・ダンサーの女性二人がダンスを見せ、低俗で余り意味のない歌詞がその間を流れる。これは、普通の人が思い描くバンドのイメージを大きく裏切るものなのである。
スタイルは様々に異なるものの、台湾と西洋を結び合わせていると言うのが今回のバンド・ブームの共通点なのだろう。乱弾が用いている北管音楽には、農村の若者たちが農作業の合間に楽しむと言う地域の伝統的精神が生きており、それが現代の学生のキャンパス生活に生き返ったとも言えよう。それと共に、グループ創作が見せる多様なスタイルが、逆にこれまで主流だった音楽の疲労を伺わせ、これからの新しい音楽の可能性をのぞかせる。
ラジオのベテラン・パーソナリティ陶暁清さんは、これまでの台湾のレコードは少数のプロデューサーが何人もの歌手を扱ってきて、どのアルバムも似たような手法で、新しさや他との差別化が失われていたという。バンドでは創作も表現も共同作業で行われるために、ループが一緒になって努力し、挫折を味わいながらも共通の音楽的価値観を生み出していくことができる。バンドはそれぞれが異なるチームとなって音楽を楽しみ、スタイルも当然異なってくるだろう。それに音楽を取り巻く環境も多様化しつつある。
長期的なスパンで見ると、1970年代、80、90年代と、それぞれ台湾のバンド時代の到来が言われた。台湾の音楽シーンで、バンドの出現が音楽市場に多様なエネルギーを注ぎ込むと期待されていたからである。しかし、民生報のベテラン記者王祖寿さんに言わせれば、音楽市場に出現したレコード売上の多いバンドは一種のサンプルに過ぎず、それを見てバンド時代が来たと誤解しただけのことである。バンド・ブームを目の当りにしていて、今までのどの時期よりも多様化し賑っているように見えるが、このブームもレコード売上全体の底上げに繋がっておらず、これまでと同じ偏った一部の売上に過ぎない。
「現在、レコードが売れているのは五月天だけで、他は3万枚以下でしょう」と王さんは言う。バンドはこの市場と言う難関をクリアしなければならず、市場の反応が冷たければ、人気があるように見えるバンドも音楽シーンの主流にはなれない。
「一昔前の音楽環境であれば、レコード会社の経営者は自分もミュージシャンだったので、売上が悪くともレコードを出す努力をしました。しかし、1990年代に世界の五大レコード会社が台湾に進出して、売れるレコードしか出さないのです。楽観的にはなれません」と王さんは言葉を続けた。
舞台は整ったが、最後の一押しが足りないと言うのが、今日のバンドの環境である。多様な創造力と人気だけではなく、市場の適者生存に直面しなければならない。音楽の善し悪しだけが成功の必然的要素ではなく、ビジュアル、CDカバー、宣伝が成功の鍵を握る。乱弾のアルバムを企画した音楽評論家葉雲甫さんは、五月天の成功にはレコード会社の宣伝があるという。
五月天のマネージャー謝佩伶さんも、音楽は別にしてマーケティングが成功したと話す。それまでバンドのイメージと言うと、タバコにむさくるしい服とマイナス面が強かった。そこでレコード会社は五月天のビジュアルで爽やかさを強調し、観客参加と曲への共感を増すことに努めた。CFでは理想的な「真面目な台湾の好青年」を描き、みんなでアルバムを買いコンサートに出かけ、みんなの夢を叶えようと呼びかけた。謝佩伶さんによると、オリジナリティや音楽性豊かなバンドは少なくないので、マーケティングが売れるための鍵だそうである。
理屈は簡単なのに、他のレコード会社はなぜ成功しないのだろう。音楽プロデューサーで1990年代初期のバンドBABOOのリーダー林暐哲さんはバンドの本質と市場との矛盾を指摘する。マーケティング技術の問題以上に、台湾の音楽シーンの特殊性がバンドの多様性を許さないのだそうである。伍佰とチャイナブルーなどのアルバムは好調で、台湾のファンもバンドのライブや立体的な音楽形式を受け容れられると見られ、レコード会社は大挙して、バンドと契約を交した。しかし、台湾の流行曲の主流はカラオケの付属品で、売れる曲は歌いやすくなければならず、難解なバンドの曲は台湾でメジャーになれない。伍佰や五月天のように両者を兼ねる必要がある。
もう一つ、バンドにも問題がある。誰もが1位になりたがるが、同じ路線のアイドルは一人しか存在できない。バンドが市場に乗ろうとすると競争が始り、勝ったものが一人占めしてしまうのである。そのためにアングラ・バンドが売れ筋の曲を書き出して、少し有名になったかと思うと、はっきりしたスタイルを持たない歌手のようなタレントに成り下る。
新しい音楽を作っていたバンドは、アングラのときと同じような創作力とメンバー同士のぶつかり合いの精神を維持できない。バンドとしての特色と売上の間の矛盾を見ると、バンド・ブームも一時のことかと心配になる。
しかし、レコード企画担当の葉雲甫さんは悲観的ではない。音楽は一種の流れで、単に消費するだけの浅薄なものではないし、台湾のバンドにはまだまだ未来があるという。長い苦難の道を歩いてきたバンド関係者には、今日のようなブームは貴重なものである。以前はバンドと言うと何をやっているのかと思われたが、今では理解が得られるようになり、団結こそ力というのがバンド精神なのだそうである。
閃霊のボーカルで全国ロック連盟の幹事でもある仏来敵さんは、バンドの精神が若い人の中に根付いているので、売れるかどうかは問題ではないと言う。去年2月の総統選挙期間中、中国大陸の台湾併合の野心を直視しようと「反覇権併合コンサート」を開き、多くのバンドファンが詰めかけた。こういった社会問題をテーマに観客を動員するのが、もう一つの行き方である。ロックとは若者に意見の発表と共通認識の可能性を探る形式で、音楽市場を通さなくとも音楽は生活の中にあると、仏来敵さんは言う。
バンドの音楽的要素は外来のものだが、1990年代末になり台湾の伝統音楽が加わり、台湾の人の心を歌うようになった。広大なポップスの領域の中で自分の歌と心を歌い、困難な時代に自分の音楽を創造しようとしている。