台湾の香りがする音を
外国暮らしが長くても自分が台湾出身であることを忘れたことはない。どんなに忙しくても暇を見つけては台湾に戻り、NSO(国家交響楽団)や台北市立交響楽団の指揮をし、台湾のオーケストラのレベルアップに努力を惜しまない。
呂はしみじみと語る。台湾の団員の腕はかなりの水準に達しており、特に弦楽器はドイツの中小規模のオーケストラに引けをとらない。だが自信に欠け、自分たちの音楽がドイツ風かどうかをいつも気にしている。本当に優れた音楽は民族を超え、ベートーベンもドイツだけのものではなく、「我々の音楽」にもなり得る、と。
「音楽表現は言葉や文化、民族性と深い関係があります。台湾社会は活発で反応が速く、吸収力や受容力に長けていますから、これらの特質を生かして『台湾らしい』音を造るべきです。ドイツの作曲家の音楽だからといって、他者をコピーするのは意味がありません」
台湾人は自分の思いを表現することが苦手なので、台湾の楽団の指揮では、彼らの感じることに特に注意を払うと呂は言う。「もっと自信を持たないと、特色は出せません」
世界的な指揮者になった呂だが、自分には向上させるべき点がまだ多くあると言う。そんな彼を啓発してくれるのが、作曲家の妻、杜文恵だ。
妻とのなれそめを聞かれ、呂は笑ってこう答えた。彼より先にウィーン音楽院に入っていた彼女は人に親切で、留学したばかりの呂をよく助けてくれた。やがて音楽に対する考えも一致していることを知り、ますます親しくなったのだと。
「彼女に啓発されることは多いです。以前は音楽会に行っても私は指揮にばかり注意していましたが、妻は作品自体を楽しみ、指揮は誰かなど知らないこともありました。こういった曲そのものを見つめる態度は昔の私にはありませんでした」
妻の影響で、呂は作品の精神や作曲家の思いを重視するようになり、現代音楽にも多く接した。二人はまさに補い合う理想の伴侶と言えよう。
台北市交響楽団の団長だった陳秋盛(右)は、彼の才能を見出してくれた恩師だ。写真は1992年、台北市交響楽団によるビバルディの「オテロ」初演の時、イタリア人テノール、ブルーノ・セバスチャンと。(陳秋盛提供)