メディア進出の契機
内政部の統計によると、台湾に暮らす東南アジア出身の新移民(結婚などで移住してきた人々)は15万人、移住労働者は70万人、さらに新移民の二世を加えると合計110万人近い。まさに公共テレビ東南アジア語ニュースプロデューサーの蘇玲瑶が、「私たちには、彼らの言語を用い、彼らに台湾や世界で日々発生している出来事を知らせる義務があります」と言う所以である。
2018年4月にスタートした公共テレビの東南アジア言語ニュースは、台湾の報道業界にとって大きな一歩となった。それまでも中央ラジオ(台湾国際放送/RTI)や『四方報』などのメディアが東南アジアの言語を用いて報道していたが、映像のあるニュース番組は限られていたのである。
必要なところに必要な情報が行き届かないという問題を譚雲福が最も痛感したのは、2003年に台湾でSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行した時である。当時、台北市役所に勤務していた彼は、すぐにSARS感染予防に関する情報をA4一枚にまとめ、それを英語、フィリピン語、タイ語、ベトナム語、インドネシア語にも翻訳して3000枚プリントし、あちこちで配布した。それでも、和平病院が閉鎖されてから3日目に、病院で付き添い介護をしていたインドネシア人3人が感染し、亡くなったのである。
移住労働者の死は譚雲福に大きな衝撃をあたえた。台湾人の誰もがマスクをつけ、定期的に体温を測って予防に努めているいる時、外国人労働者はSARSのことをよく知らなかったのである。「みんな和平病院が封鎖されたことしか知らなかったのです。テレビやラジオ、新聞なども中国語ばかりなのですから」譚雲福は衛生教育の文書を配布するのが遅すぎたと自分を責めた。
その翌年には、スマトラ島沖地震による大津波が発生した。だが、台湾の報道では、最も大きな被害の出たインドネシアのアチェ州に関する情報が少なく、故郷の状況が分からない台湾のインドネシア人は不安にかられることとなった。
SARSと大津波の衝撃を受け、譚雲福は「私のところにある情報を、どうやって数十万人の在台インドネシア人に伝えればいいのか」と自問した。そして、さまざまなメディアを通した試みを開始した。RTIでインドネシア語番組の司会者を務め、台湾初のインドネシア語雑誌『INTAI』も創刊した。そして現在は公共テレビの東南アジア語ニュースでインドネシア語のキャスターを担当するなど、一歩ずつインドネシア語による報道の範囲を拡大してきた。
公共テレビは台湾で初めて東南アジア各言語によるニュース番組放送を開始した。写真左からタイ語、インドネシア語、ベトナム語のジャーナリスト。(公共テレビ提供)