素材の自社開発で主導権を奪回
受注が伸びる中、ダイビング用ブーツだけではなくグローブやスーツの製造も開始し、雨靴などの粗利の低い製品の製造を停止することにした。
だが、会社の将来性が期待される中で、原料の供給不足問題が起こってきた。
「ウェットスーツの原料のネオプレンは日本企業が握っていて、価格も供給も相手の言いなりで、どうにもなりませんでした」と、薛丕拱の次男で総経理の薛敏誠は不満げに話す。
その苦境を切り抜けようと、除隊したばかりの薛敏誠はネオプレンの自社開発を提案した。
しかし、素材の開発は容易ではない。しかも言い出した薛敏誠は輔仁大学経済学科の出身で、化学工業は素人だ。しかし、父の不屈の精神を受け継いだ彼は諦めず、ゴム会社の組合や技術学校、デュポンなどの講習を受けて専門知識の基礎を作り、退社後は工場にこもって実験を続け、配合を研究していった。
素材の研究開発に全力を傾けていた当時、思わぬ深刻な事故が起きてしまった。靴の型を調整していた時に、左手の小指が木型の切断機に押しつぶされ、骨だけになってしまったのだ。医者は小指を腹部に縫合して、傷ついた指に新しく肉を再生させた。その半年余りの間、片手だけで作業したが、研究開発を中断することはなかった。
3年半にわたる努力を続け、日米のメーカーから技術を購入することなく、独力で製造工程を模索した結果、薛敏誠はついにネオプレン素材の開発に成功した。
原料から製品まで一貫した製造工程
父の薛丕拱が会社の基礎を打ち立てた創業社長とすると、ネオプレン開発に成功した薛敏誠はSheicoを世界的企業に育てた二代目社長である。
1986年以降、Sheicoはネオプレンの自社製造能力をつけて、日本のメーカーの制約を受けることなく原価を圧縮でき、収益力は等比級数的に伸びていった。さらに国際市場での価格が日本メーカーより3割ほど安かったため、多くの欧米メーカーから受注を獲得していった。
Sheicoは、ウェットスーツの原料から製品まで一貫生産する世界最初のメーカーとなった。品質が良く、価格は安く、顧客の要求に柔軟に対応したため、受注は爆発的に増加したのである。台湾での製造能力が飽和状態に達したため、1988年に海外製造に乗り出していき、企業の規模は台湾からタイ、中国大陸、カンボジアに広がっていった。
今日まで、会社は国内外11ヶ所に生産基地を設置しているが、海外工場は労働集約型の三次加工最終工程の工場で、宜蘭県の本部および3工場は、デザインと研究開発、それにウェットスーツのゴムや機能素材、弾性繊維などの核心素材の製造を担当している。グループの海外従業員は9000名を超え、台湾では958名を擁し、宜蘭県では最も多くの雇用を創出するメーカーである。
火災を乗り越え宜蘭のハッピーカンパニーに
企業は常に順調に発展するとは限らない。突発的な危機が、企業の事業継続性を左右する鍵となることがある。
1996年9月末に、Sheicoの宜蘭本社は二日続けて放火に遭い、工場と機械設備がほとんど損壊し、競合他社が、この機会に受注を奪おうとした。
薛敏誠は直ちに決断を下し、被害状況を公表すると共に、毎日の進展をアップデートして顧客を安心させた。薛丕拱は銀行に融資を依頼し、父子が力を合わせて、あちこちから中古の設備を購入し、早期の生産再開に走った。火災から三日後に、Sheicoは屋外の仮設テントで最初の生産ラインを稼働させ、1ヶ月に火災前の7割まで生産能力を回復させ、3ヶ月後には正常な生産能力に戻した。
リーダーの強い意志と共に、社員の協力も速やかな回復の鍵となった。実際、火災後まもなく、会社の危機を乗り越えようと、社員全員が3ヶ月の給与2割カットを薛丕拱に申し出ていたのである。
この申し出に、薛丕拱は涙を流した。危機を乗り越えようという社員全員の熱意に、今後も社員に報わねばと思ったのである。薛丕拱はその後も給与全額支給を続け、翌年には年末賞与を半月分加算し、皆の努力に報いた。
それからのSheicoは、宜蘭県のハッピーカンパニーを自負し、給与や福利厚生は同業他社を上回る。法制化される前から週休二日を導入し、夏冬には9日間の長期休暇を定めて、学校の休みに合わせた家族の活動を推奨している。
最高峰を出発点に
火災後にSheicoは急成長を遂げ、1997年には世界のウェットスーツのトップとなり、シェアは当時の30%から現在は65%まで伸びた。「私どもは隠れたメーカーで、トップとなったことを知る人は少なかったのですが、気づくと他社を引き離していてトップになっていました」と薛敏誠は言う。
今日のSheicoは、研究開発を重視する二代目薛敏誠の下で、OEMから設計も手掛けるODMに転身し、水中のウェットスーツ市場から陸に上がり、自社開発の弾性繊維を基礎として機能性スポーツウェア市場に進出しようとしている。
最高峰に立っても、そこを出発点に昨日の自分を乗り越えていく、それがSheicoである。