目で学び、足で聞く
林靖嵐がダンスを始めたのは、体が弱かったので幼稚園の先生に勧められたからだった。聞こえなくても彼女には優れたリズム感があり、社交ダンスを学んだ母親の指導もあって、その後もずっと続けることになった。
幼い頃はわけもわからず踊っていたが、大学に入り、先輩に認められて振付も任されると、ダンスに打ち込んだ。大学の4年間、学科のチアリーダーの振付を担当したことで、ダンスへの情熱も高まり、伝統舞踊やバレエだけでなく、モダンダンスにも挑戦するようになった。
林靖嵐と組んで5年ほどになる賈曙隆は、林の歩んだ道が決してたやすいものではなかったことを知っている。聴覚障害の程度で言えば、林は重度に属するからだ。ダンスを学ぶ母とともに、ゆっくりしたテンポの伝統舞踊やバレエの練習から始め、次第に速いものに挑戦した。「普通は音楽を聴きながらダンスを練習しますが、私は目でリズムを数え、ダンスを学びました」聴覚障害者は一般人の3~4倍もかけて練習し、習得する。練習が大変なだけでなく、嫌な思いもした。よくわからなくて、ほかの子に教えてもらおうとすると、面倒そうな顔をされることが多かった。
今から思えば、相手も障害者にどう接すればいいかわからなかったのだろう、と彼女は言う。ただ、こうしたつらい経験から、彼女は聴覚障害者のために何かしたいと考える。
大学で特別支援教育学科を選んだのは、自らの経験を教職で生かしたいと考えたからだ。2011年に舞踊団を立ち上げたのも、聴覚障害者が明るく楽しい気持ちでダンスのできる場を作りたかったためである。
舞踊団設立当初は、周囲、そして聴覚障害者からも賛同を得られなかった。だが彼女は詳しく説明することは避け、「行動で証明してみせる」ことにした。やがて団員も7名に増え、活躍の場も中国大陸、シンガポール、インドへと広がった。最近では、団員を率いてフランスのデフアートフェスティバルの開幕式でダンスを披露した。
団員の多くは聴覚障害がある。彼らも当初は自分に自信がなかったが、公演を重ねるにつれ、表情も動作も生き生きとしてきた。賈曙隆によれば、団員の一人、黄小布は恥ずかしがり屋で、もともと撮影担当だった。だが、周囲と母親の励ましで、ともに踊るようになったのだという。
林靖嵐は毎週台中まで足を延ばし、聴覚障害を持つ子供たちにダンスを教える。4ヶ月にわたるレッスンの最終日、生徒が一人来ていないことに気づく。尋ねてみると、レッスン料が払えないのだと言う。その時、聴覚障害児の多くの家庭が経済的にゆとりのないことを知った。
衛生福利部の統計によれば、台湾には12万人を超える聴覚障害者がいて、障害者全体の10%を占める。デジタル補聴器などは数万元するため、親にも障害があれば家計への負担は重く、子供にダンスを学ばせるどころではない。
その事実に心を痛めた林靖嵐は、仲間と話し合い、聴覚障害を持つ子供たちにダンスを学んでもらおうというプロジェクトを立ち上げた。その第一歩は、舞踊団の巡回公演で、ダンスレッスン費用のための賛助を募ることだった。