デザイナーへの夢
沈恩綺は世界のステージに立った喜びに浸ることもなく、すぐに会社経営に戻った。「二つのファッションウィークに出たからと言って売上が伸びることはないでしょうが、イメージ作りとブランド経営のためには必要なことです」と言う。彼女の言う「ブランド経営」と「売上」こそ重点である。沈恩綺は起業の過程で数々の壁にぶつかり、この二つの重要性を身をもって学んできたのである。
ここで彼女の経歴を振り返ってみよう。
「大学の第一志望は実践大学服飾デザイン学科、第二志望は輔仁大学織品学科でしたが、両方とも不合格で、外国文学科に入りました」と言う。中学の頃から洋服を買うのが大好きで、他の人と同じ服を着るのが嫌なので、買ってきた服に自分で手を加えて着ていた。
「最初からやりたいことが決っていたわけではありませんが、ファッション以外に何が好きなのか考えたことはありませんでした」と言う。希望の学科に進めなかったが、ファッションへの夢は消えず、在学中にオンラインショップを運営し始めた。問屋で仕入れた衣料品や、自分でデザインしたアクセサリーを扱い、ほとんど儲けはなかったが、それは楽しいプロセスだった。
休暇で台北に帰るたびに、問屋街で大量の衣類を仕入れ、台南の学校に戻るとネットで販売することに熱中していた。
卒業後はモデル・エージェンシーでマーケティング企画の仕事に就き、ファッション業界を産業として理解する機会を得た。昼は仕事、夜は実践大学で服飾デザインカリキュラムを履修し、アパレルメーカーに履歴書を送り続けたが、大学で専門的に学んでいないということで採用されることはなかった。
2011年、友人に勧められて「台北魅力ファッションウィーク秋冬発表会」に応募することとなり、1カ月のうちに10着を作成して提出した。大学でデザインを正規に学んでいない沈恩綺は、初めてのデザインにおいてコーディネーションで創意を際立たせ、同年の新鋭デザイナー賞を受賞したのである。初めて自分のデザインが認められた彼女は、長年の夢をかなえるために着実な計画を立てなければならないと考えた。「当時はただ自分の作品をランウェイで発表できるデザイナーになりたいと思うばかりでした」こうして24歳で起業し、7crashを打ち立てたのである。
沈恩綺はファッションとしてのデザイン性と市場のニーズのバランスをとることに努力している。