ロからの再スゼタート
貯蓄は夫に使われてしまい、一人で二人の子供を育てることになったピンディさんは、子供たちに少しでも良い生活をさせたいと考えた。そこで 辛い思いに耐えて、2歳と1歳に満たない子供を母親に預け、再び一人で台湾に渡ってきた。子供と別れた時の話になると、ピンディさんは目を赤く腫らした。
台湾では以前と同様、介護の仕事に就いたが、病院で付き添い介護をしていた時、思いがけず たな人生が始まった。
隣のベッドの患者の家族が、捏麺人職人の楊清 仁だったのである。もともと移住労働者に関心を寄せていた楊清仁は、彼女に捏麺人づくりを教え始めたのである。
最初はおもしろいと思ったが、上手に作れないので落ち込んだ。楊清仁は彼女を励まし続け、インドネシア文化に関わる人形を作り始めたことで、本当に興味を持つようになった。
捏麺人の素材は赤・白・青・黄・黒の5色だが、楊清仁から、さまざまな色の作り方を教わった。白に赤を加えればピンクになり、黄色と赤と黒を混ぜれば茶色になる。
ピンディさんは故郷の記憶やインドネシアの写真を参考に、異国情緒あふれる捏麺人を作り始めた。インドネシアは豊かで多様な文化を持ち、インスピレーションが尽きることはない。
インドネシアを背景としたものだけでなく、台湾での暮らしも作品に取り込む。仕事で介護するお年寄りや、雇い主の家族など、それぞれの特徴をよくとらえてあり、人々を楽しませる。人物を作るのが好きだと言う彼女の作品は、ひとつひとつ表情が異なり、そのおもしろさに彼女自身、ますます引き込まれていった。
ピンディさんはインドネシア文化を取り入れ、他にはない美しい捏麺人を作っている。