山地に分け入り、カレン族を支援
Borderlineと同時に開設したブランドChimmuwaも、同じ熱意から生まれた。
林良恕は1998年からタイの山地集落への訪問を開始し、国境地帯には各界が関心を寄せるミャンマー難民だけではなく、誰も関心を寄せないタイ国籍のカレン族集落があることを知った。国境を越えてきたミャンマー難民の多くと同じカレン族なのだが、山地に居住する彼らの生活はさらに厳しいものがあった。
僻地にあり外界との接触が難しいため、山地集落では教育も医療資源も乏しかった。林良恕が最初に知り合ったカレン族集落の村長Tipは、山の子供の教育のために、町の国際NGOに援助を求めて徒歩で山を下りてきた。それが伝手をたどって林良恕に紹介されたのである。
援助計画を考え、近辺の集落で学校を運営するフランス人神父に教えを請うた。そこで、カレン族の住民が山を下り学校や病院に行こうとしても、タイ語が分からないために平等な待遇を受けられず、役人からもひどい扱いを受けると聞き、胸が痛んだと彼女は話す。
この援助計画のために集落をたびたび訪れるようになると、村人は別れ際に手製バッグやサロン(巻きスカート)をお礼に手渡してくれた。林良恕は難民キャンプ時代からカレン族の工芸品が好きだったので、手織り布をバッグやスカーフにデザインすることにした。
これらの製品は堅苦しく「Karen Network for Culture and Environment」とばべれていたが、林良恕はいろいろ考えた挙句、以前に贈られた伝統衣装の「Chimmuwa」をブランド名に選んだ。この衣装は純白のワンピースで、未婚女性だけが身に着けられるものである。
当初のChimmuwaブランドの製品は、林良恕とカレン族の家政婦のNaw Nawが二人でデザイン、縫製していたが、今では何人もの人が働いている。林良恕の住まいのそばにある作業場の壁には、多くの写真がこれまでの歴史を語る。ミャンマー難民でも、遠い集落から来た山の住民でも、林良恕にとっては家族のような存在である。
ある時、友人であるデザイナーが山での買付に一緒に行ったことがあった。友人は生地にキズを見つけて買うなと止めたが、彼女は宥めながら「私たちは単なる取引相手ではなくパートナーなの」と言った。問題があっても買付けないのではなく、何時間も車を走らせて織り手の村に行って、どこに問題があるのか話し合うのである。
またある日、林良恕は台湾の記者に付き添って集落を訪れた。集落の女性と談笑し、教師の家を訪問するうち、ある女性が蝋燭の薄明りの中、白いビーズを縫い付けた手製の民族衣装を持ってきた。サイズは規格に合わなかったが、生地を確認し、縫製を確かめて、彼女はその衣装を購入したのである。
綿花の採集、糸紡ぎ、染色から織布まで、大地にやさしい手織り工芸は、集落の古い伝統であった。しかし、複雑な工程を必要とするため、次第に伝統技術を捨て、化学染料の糸を購入するようになった。また生活のため、山地にトウモロコシを栽培し、大量の農薬を撒くこともある。「手織りの布を購入することで、環境にやさしい手織りの伝統を残していけます」と彼女は言う。
2006年に林良恕は台湾で製品のチャリティ・セールを行った。それから台湾でChimmuwaブランドを知る人が増え、台湾でのセールに集まる人も多くなった。それでも彼女は「Chimmuwaはスタートに過ぎず、これからもっと色々なことをやりたいのです」と、2015年10月に台湾に戻って開催した座談会において、その理念を語った。
Chimmuwaの製品を紹介すると共に、消費に対する理念も伝えたいという。商品を購入する時に、その背後の意義を考え、人と人、人と土地や自然との繋がりに思いを致し、消費者から集落の村民まで、連なる一人一人がそこから成長していければと願う。こういった繋がりこそが、社会的企業の精神なのである。
手織りの布地のカレン族をイメージさせる人形。いずれもChimmuwaのメンバーが一針ずつ縫ったものだ。