5月10日の母の日、台北華山文創園区でユニークな展覧会が開かれ、多くの人が足を止めて見学していた。会場外のポスターには巨大な孔子像が描かれ、その上に「わんぱく教育フェスティバル」と書かれている。
「孔子は2000年前に『有教無類』(分け隔てなく教える)と言っており、これは私たちの精神にぴったりです」と話すのは「わんぱく教育フェスティバル」を主催する蘇仰志だ。教育は一定の型にはめられたものではなく、広い想像空間を持たなければならないと蘇仰志は考える。近年は創意教育や翻転教室などの概念が広がっており、創意教育を志す人々の交流のイベントとして企画されたのである。
もっと違う教育の可能性
芸術教育に従事する蘇仰志はオープニングの挨拶で観客に、「目を閉じて『木』の姿を想像してみてください」と言い、画板を取り出した。そして「目を開けてください。ここに描かれた木はあなたが想像したものと同じですか?」と問いかけると、多くの人が頷く。だが、なぜ多くの人が同じような木の形を思い描いたのだろう。「これこそ教育画一化の危機です。観察や創造の力を失い、人から与えられた概念を受け入れているのです」と蘇仰志は語る。
「わんぱく教育フェスティバル」は、「良い子でない生徒」や「勉強が嫌いな生徒」を試験の点
数で評価できるのか、と問いかける。
一方、会場内のもう一つのポスターには、先生に対するイメージを書いて自由に貼れるようになっているが、こちらの内容はさまざまで、先生のイメージは画一的ではないようだ。
このイベントには大勢の教員も招かれていた。性転換をした台中一中の曾愷芯、生徒たちに思考の精神を示そうと街頭に繰り出した大直高校の黄益中、そしてかつては不良生徒だったが今は特別支援教育の教員を務める曲智鑛など、従来の教師のイメージを覆す先生方が講演し、「道は一つだけではないし、正解も一つではない」と語った。
「翻転教育」理念が広まる一方で、これを批判する人もいる。人本教育基金会の史英董事長は、従来の教育方法にも優れた点はあり、すべてを変える必要はないと指摘する。
だが、多くの教員はこうした論戦には加わらず、それぞれが自分のやり方で従来の方法に創意を加え、新しい授業に取り組んでいる。
国語教科書の中のポップス
例えば、彰化県鹿港中学で18年教えている楊志朗の教室へ行くと、生徒たちの合唱が聞こえてくるが、これは国語の授業である。楊志朗は生徒たちの記憶と理解を強化するために1997年から人気のあるポップスを授業に取り入れた。
「詩や詞はもともと楽曲のために作られたものなので、歌うことで理解しやすくなり、印象に残りやすくなります」と言う。ポップスの歌詞も新詩であり、古典の詩詞に通じるのである。
例えば、周杰倫(ジェイ・チョウ)の「稲香」と沈復の「児時記趣」、張秀卿の「車站」と李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」を比べると、伝えようとする思いに共通点があり共感しやすくなる。
文章の書き方にも相通じるものがある。例えば、「青青子衿,悠悠我心…青青子佩,悠悠我思(青々たる子が衿、悠々たる我が心、青々たる子が佩、悠々たる我が思い)」という昔の詩は、物を見て人を想う内容だが、辛暁琪の「味道」には「あなたの笑顔、あなたのコート、あなたの白い靴下、あなたの匂いを想う」とあり、両者の表現はよく似ている。生徒たちは、この二つの詩を結びつけることで、千年前の詩にも親しみを覚えることとなる。
こうした授業の後、生徒はその場で250から600字の作文を書くことで、さらに印象を深める。楊志朗の教え子は、入試の作文でも常に良い成績を取っているという。
教室の中の図書館
授業に熱心な楊志朗は数々の賞を取っており、2014年には教育部の師鐸賞に輝いた。「ですが、私は優秀な教員ではありません。ただ努力を惜しまないだけです」と言う。
地方の学校では図書が少ないため、楊志朗は毎月自腹を切って生徒たちのために本を買っている。「ためになる本や授業で学んだ作家の著書などを買ってきます。読書は生徒に広い世界を見せてくれますから」と言う。14年の積み重ねで、教室の後ろにある書架には4000冊が並んでいる。
楊志朗は生徒に読書の習慣を身につけさせるために、学校での細切れの時間を利用して具体的な読書目標を立てさせている。朝の自習時間には英語の絵本や二か国語雑誌を読み、授業前の5分間は散文を読む。先生が採点をしている時は課外読み物、昼休みは新聞、下校前は雑誌または教育分野の映像という具合に、一日でかなりの読書量になる。
一冊の本を読み終えた生徒は楊志朗の口答試験を受ける。簡単な質問を通して、生徒が本当に本を読んだかどうか確認するのである。
厳しい授業を行なう楊志朗は放課後も手を抜かない。家庭環境に恵まれない生徒や、家では勉強に専念できない生徒は自宅に連れて帰り、ベッドとエアコンのある専用の部屋を与えて勉強を見てやり、夜遅くまで勉強した時は、そのまま泊まらせることもあるという。
他のスーパー教師の多くが活発な授業をするのとは異なり、楊志朗の方法はスパルタ教育とも言える。しかし、生徒たちは先生を怖がるどころか、親しみを込めて「楊お父さん」と呼び、誕生日会などを催して先生を喜ばせる。「十年以上努力してきて得たものは、子供たちの無限の愛です」と言う。未婚で子供のいない楊志朗にとって、生徒は永遠の子供なのである。
古典文学を復活させるオタク先生
元智大学教養学部の陳巍仁・助教は、自らを「オタク教師」と呼ぶ。
若者は、アニメやゲームに熱中している人のことをオタクと呼ぶが、陳巍仁の研究室のデスクにもフィギュアや模型が並んでいて、まさにオタクと言えそうだ。だが、彼が愛しているのはこれだけではない。中国の四書五経や章回小説など、古典文学が何より好きなのである。
この二つの興味の対象が、陳巍仁の頭の中で時空を超えて結びつき、教室で最強の教材となっている。
「日本の漫画『ONE PIECE』の最初のシーン、主人公のルフィが酒樽から飛び出してくるところは『西遊記』の孫悟空が石から生まれるのとよく似ています」と陳巍仁は言う。さらに、自由に伸び縮みさせされるルフィの腕は孫悟空の如意棒に通じるものがある。彼らが仲間を集めながら「偉大なる航路」を進んで宝物に向かって進んでいく物語は、西の果てへ経を取りに行く三蔵法師一行とそっくりである。それだけではない。主人公の名前はモンキー・D・ルフィで、実はルフィの中にはサルが潜んでいるのである。
教室でこの話を聞く学生たちは次々と驚きの声をあげる。大好きな『ワンピース』は実は大昔の『西遊記』と関係しているというのだ。「これこそ古典の魅力です」と陳巍仁は言う。
「古典文学は歳月の洗礼を受け、絶えず修正や解釈が加えられてきたので、どの時代でも、その時代に属する読み方が可能なのです」と言う。
易経恋愛学
「古典文学」という枠を取り外せば、学生たちは異なる角度から理解でき、そこに楽しみを見出すことができる。これこそ陳巍仁の最大の歓びだ。古典文学と現代の生活との間に関連性を見出すことさえできれば、それが古典を読む原動力になるからである。
難解で奥が深い『易経』であっても、陳巍仁には独自の方法があり、学生たちは何が何でも全巻読まなければと思うのである。
『易経』は中国古代の占筮に関する書物で、自然現象の変化を記録し、八卦を通して人と環境との関係を伝える。「こうした知恵は、数千年にわたる修正や調節を経てきており、今日の生活にも活かすことができます」と陳巍仁は言う。その話によると、大学生にとって最も難しい必修課程は「恋愛学」だが、そこに『易経』の知識を取り入れれば、恋愛においても自分に有利な流れを創り出すことができるという。
「易経の64卦は人生のさまざまな状況を表しています。仕事も恋愛も時機に関わり、時機が悪ければ努力しても成果は出ません」と陳巍仁が説明すると、恋愛で悩んでいる学生の多くが納得する。卦と卦も、人と人の関係と同じく相互に対応し連動している。例えば、多くの学生は授業で同じ席に座る習慣があるが、違うところに座ると状況はまったく異なってくると言う。
学生たちの日常生活に取り入れることで、古典文学を新たに理解することができる。こうした努力によって、陳巍仁の選修科目も毎学期数百人が履修を希望する。陳巍仁も若者の歩みに合わせ、新しい漫画や映画やドラマなどの情報を取り入れており、これらのエンターテイメントに触れることが彼の仕事の一部になっているという。
教育の道はますます広がる
ネットや情報の発達によって、さまざまな場で知識が伝達できるようになり、教育の定義の幅も広がってきた。正規の教育体制にしろ、ネットを通した在宅学習にしろ、その背後には、子供たちにより多くを学んでもらい、より遠くに目を向けてほしいという思いがあるのは同じである。
人生の様々な問題には正解はなく、教育方法にも標準はない。分け隔てのない多様で開放的な教育においては、生活の至る所に教材があり、それらが発掘されるのを待っている。台湾には大勢のスーパー教師がいて、それぞれの持ち場で自分の物語を綴っているのである。
「わんぱく教育フェスティバル」は、従来の授業の型にとらわれない多様な教育方法を提唱する。(荘坤儒撮影)
よい生徒かどうかは誰が決めるのか。わんぱく教育フェスティバルは、教育の現状を省みる機会をもたらし、人々にさまざまな創意ある授業方法を見せた。
国語の教科書にもデザインの要素を取り入れればアーティスティックになる。(荘坤儒撮影)
国語の教科書にもデザインの要素を取り入れればアーティスティックになる。(荘坤儒撮影)
勉強のできる生徒が良い生徒なのだろうか。教育の道は一つではなく、正解も一つだけではない。(荘坤儒撮影)
スポーツと読書は多元教育の重要な一環である。教室の外へ出れば視野も無限に広がる。
スポーツと読書は多元教育の重要な一環である。教室の外へ出れば視野も無限に広がる。
教育によって蓄積した実力があればこそ、卒業後のさまざまな課題に立ち向かえる。