味覚の記憶を越えて―銀翼
銀翼が選ばれたと聞くと、グルメの中には「何だって。昔に比べれば落ちたものなのに」と言う人もいれば、「古臭い料理ばかりで取り上げることもないだろうに」と言う人もいる。どちらにせよ、子供の頃の味がそこにこめられている。記憶は美化され、時に色褪せるものだが、評論家の目からは銀翼こそ台湾の浙江料理を代表するレストランである。
足を踏み入れると、見に入るのは広い階段に大きな書の額という昔ながらのエントランス、伝統的な料理にベテランのホールスタッフ、悠々と食事をする常連客である。若い客でも、乳離れした頃から、ここの料理を食べていたという懐かしい記憶を手繰れる。
銀翼の名は、空軍の銀の翼の徽章からとったもので、その前身は空軍将校クラブであった。中国にあったとき、空軍将校クラブは杭州筧橋にあり、抗日戦争が起ると、成都に移った。そのため、浙江料理と四川料理が混ざっているのが特色である。国民政府が台湾に移ると、政府は民間と競争しないという原則から、1949年に民営化されたが、シェフからホールスタッフまで同じ陣容で、常連客も国民党、政府、軍要職の外省人を主としていた。
馴染み客と昔ながらのレストランには、食を越えた繋がりが生れる。三代揃ってここで披露宴を挙げた人もあり、また老友との定期的な集まりを開く人もいる。80歳過ぎながら、艶々した顔色の張支配人は、60年前にレジ係から勤め始めた。今では店を開ければ顔を出し、注文を受け、腕を取ってお客を送り出し、時には馴染み客と乾杯する。まるで家族のように、宴席を取り持つ。
2008年、飲食雑誌のレストラン格付で4つ星を受けた。その理由は、浙江料理の流れを汲む淮揚料理の精髄を伝えるというものである。食材を厳選し、包丁捌きが優れ、北方の濃厚な味と南方の素材を生かした調理が融合し、あっさりした中に味が入っていると言われる。
常連客が必ず頼むのが、肴肉と風鶏、煨;麺、小籠包などである。肴肉は豚肉の煮凍りで、千切りショウガと鎮江酢で食べるもので、肉の脂がありながらあっさりしている。煨;麺は鶏スープで麺を煮込み、こくがある。小籠包はしっかりした皮に、蒸篭に敷いた松葉の香りがすがすがしい。
銀翼では古典的な淮揚料理の復元にも力を入れている。300年の歴史を持つ由緒ある料理、文思豆腐は、清朝の揚州天寧寺の文思和尚が考案した庶民的な料理だが、シンプルな豆腐の羹ながら包丁技が試される。千切りにした絹ごし豆腐を浮かせた一品は、乾隆帝の満漢全席にも選ばれた。これを銀翼では、清朝のグルメ本「随園食単」で知られる江南の才子袁枚のレシピにより、鶏スープに千切りの筍と鶏肉を合せ、柔らかくあっさりと仕上げる。
銀翼のもう一つの看板料理が芝エビのおこげで、これにも逸話がある。乾隆帝が江南を訪れたとき、小さな店で食事をした。そこでエビ、鶏肉、鶏スープであんを作り、おこげにかけた料理が出た。おこげのお椀からジュッと音と湯気が立ち上った。乾隆帝は色、味に加え、音と湯気が楽しめるこの料理を天下第一と褒め称えた。
老舗として伝統的な作り方を守っている。それは馴染み客のためでもあるが、徒弟制度の味の伝承のおかげでもある。銀翼の二代目シェフ呉国村は40数年前に弟子入りした。「当時の決りでは、入門して6年8ヶ月経たないと宴席を担当できませんでした」と言う。現在、24人のコックがその下で、切る、炒める、蒸すなどを担当し、系統的に技術を磨いている。
14年とまだベテランとはいえない副支配人の藍隆盛によると、中華レストランでの人材養成は難しい。昔ながらの徒弟制度は今では役に立たず、今年初めて調理学校出身の学生4人を1年の実習に採用した。しかし、伝統の味を守ることが大切で、シェフが休んだ途端に馴染み客から文句が出る。
昔ながらを守る銀翼だが、高い格付けにより新しい客層がついてきた。店の環境やサービスの質がそれについていけるのか、これが客の心をつかむ鍵となるであろう。
江浙料理の系統に属する淮揚料理は、北方料理の濃厚さに南方料理の素材の旨味を融合させたもので、味はしっかりしていながらあっさりしている。銀翼の看板料理は、左からエビ焼きそば、肴肉(煮凝り)と風鶏、肉団子の醤油煮、白菜と落花生の涼拌、そして文思豆腐。