保護区域で「小物」にも生存の場
人工の産卵床設置は、保護活動の出発点に過ぎなかった。ある日、竹の束を設置した場所が釣り客の天国になっていることに気づいた。「あそこなら必ず釣れる」と口コミが広がったため、小物のアオリイカは大幅に増加したが、大物は相変わらず少なかった。
アオリイカの寿命は僅かに一年、4日目が人間の1歳に当る。餌を多くとり、成長の早いアオリイカは、生きてさえいれば半年で1キロを超え、速やかに繁殖でき、経済価値も高い。
こうした話をして釣り客を説得しながら、15センチ以下のアオリイカの漁と販売を禁止する立法を政府に呼びかけた。「カニの保護のためには立法できたのだし、アオリイカはカニより減少しているのだから」と王銘祥は考えたが、立法はなかなか進展しなかった。
しかし、王銘祥の努力に転機が訪れる。近隣の海域に保護区を設置し、小さなアオリイカにも成長の環境を残そうとの提案に、政府や専門家の支持が得られたのである。2016年に「望海巷の潮境海湾資源保護区」が設置され、基隆地域の保護区の先例となった。
こういった変化は漁業者の抗議を招いた。「保護区なんて、ではどこで魚を捕ればいいのか」「以前はよかったのに、今は捕ってはいけないのか」と反対の声は少なくなかったが、王銘祥は初心を貫き「海は漁業者だけのものではない」と語りかけた。台湾では戒厳令が解除されて32年だが、戒厳令の時代には海に出られるのは漁業者だけで、一般人は埠頭にも入れなかった。彼らが海を自分のものと思う気持ちはわかるが、時代の進展とともに考え方も変化が求められる。
保護区設立のため、王銘祥は多くの人に呼びかけて、近隣の海域の廃棄漁網撤去に乗り出した。近隣の魚類やカニ、エビに危害をもたらしていた漁網を一斉に撤去したのである。
漁業者の中には「密猟の刺し流し網を規制しないで、保護区を設置しても意味がない」と皮肉を言う人もいたが、これに対して王銘祥は巡視船と共に船を出して、流し網の密猟漁船の取締りに協力した。取締りの強化に加えて、基隆市に働きかけて刺し網の実名制度を制定し、漁船ごとに漁具の管理を徹底した。こうした様々な措置により、密猟漁船の被害を受けていた合法的な漁船も、保護区設置の決意を理解し、協力するようになってくれた。
「竹の束に多くの卵が産み付けられているのを見て嬉しかったのですが、今では余り嬉しくありません」と言う。保護の成果が上がり、生態が回復するとともに、アオリイカは竹の束で作った人工漁礁に頼ることなく、自然の環境で産卵できるようになったからである。
王銘祥が心から願う最終目標とは、保護区の範囲を拡大し、基隆市近辺の望海巷湾(別名を番仔澳湾)全域を保護区とすることである。漁業者は保護区では漁ができなくなるが、彰化県芳苑で伝統漁法「水牛による牡蠣採集」を観光資源として活用していることに倣い、現地の文化を観光産業の資源にすることが考えられる。例えば、漁船に観光客を乗せるアクテビティで、収入を得られるのである。
海を愛する王銘祥は、観光を通して人々の理解を進め、美しい環境を守っていこうとしている。
無暗に投棄された漁網が海綿にからみつき、海底の生態に影響を及ぼす。
竹で作った産卵床の近くを泳ぐアオリイカ。竹はしだいに腐って自然に返るため、環境に影響を及ぼすことはない。