幸福新茶道

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2016 / 12月

文‧林明隆 圖‧林格立 翻譯‧Darryl Sterk


台灣經過百年發展,民眾生活已從飽饑解渴的單一需求,邁向精緻的、精神的、美學的、感動的、心靈提昇高品味生活方向前進,在茶道四大功能,社交、藝術、儀禮、修行中,更加入現代科技的、裝置藝術的、哲學宗教的、多元化的美學元素,呈現古今未現具有台灣特色的精彩新風貌。如何喝茶,且聽其茶道過程之細節種種。


台灣因有著悠久茶歷史,以及日、荷、西、歐美等許多不同文化的澆灌,使得台灣的茶道文化推陳出新,除了有最新以金銀豪華茶席或輔以現代裝置觀念、前衛表演多媒體藝術等外在形式的組合創新;此外在故宮,可以看到中國千年茶文化器具的實物,加上台灣是世界上少數從不發酵茶、部分發酵茶、全發酵茶都能生產的國家,出口茶足跡遍及全球逾一百三十餘國,得天獨厚而享譽國際。

 

七碗茶歌  茶人獻藝

什麼是茶?最早人類發現茶時,只知道它可以藥材慢慢地加入人類智慧馴化後,變成可以日常飲用的飲料,然而,由於茶在進入人體時,會產生與大自然感受的相應,就如同唐代盧仝以一曲《七碗茶歌》(即《走筆謝孟諫議寄新茶》詩,與陸羽《茶經》齊名)名揚四海,自唐以來,這首《茶歌》歷經宋、元、明、清各代,傳唱千年不衰,歷代文人茶客品茗詠茶時,屢屢被吟及,就知道茶為何能跨越時空,古今能同一心。

盧仝一生愛茶成癖,《七碗茶歌》是在描寫他喝了七碗茶後,茶湯飲進身體後漸進的體驗與感受。茶人趙崑秀研習茶道二十餘年,是主導多項重量級台灣國際藝術節的「明境藝術書院」之策展人,舉凡雄獅畫廊、誠品畫廊、太古踏舞團、當代傳奇劇場等國際藝術展演而巡演世界各地,或如花蓮國際石雕季、基隆國際藝術中元節、台北兒童藝術節、苗栗國際假面藝術節等縣市藝術活動之專業策辦。她以研究茶道為終生志業,以「內觀」為其茶文化起點,以「心靜茶自香」為道路,以「圓融平和」為溝通,以「美學藝術」作為出發,致力發展台灣茶文化,並推廣國際藝術交流。

關於「茶道」的展現,趙崑秀特地佈置了一場莊嚴的茶席,就著茶之種種而娓娓細說分明。「之所以會學習茶道這麼久,一開始我接觸到茶道,內在的心就好比是一顆種子,從果實中蹦裂誕生,慢慢發芽成長甚至茁壯,因緣著天時地利人和相應,而成就我學茶的心路歷程。」她深知茶道的種子,就只能在幸福人心之處發芽成長,造就人生幸福茶鄉。

 

茶道之始

《七碗茶歌》的第一杯茶,其實這是一杯定心茶。「一碗喉吻潤」,在喝第一碗茶時,喝茶人的心理狀態往往是毫無準備的,身體經久被鎖在日常繁忙的桎梏中,所以身體的狀況常常是僵硬乾渴焦慮的,在喝一杯好茶時,往往只覺得「不錯喝」、「有別於無味水、濃酒、羹湯的味道」;「現代僵硬枯竭的心靈」在專業茶人趙崑秀長多年教學中,往往是司空見慣的事。對於旁觀者而言,往往困惑於為何茶道的過程,需要那麼多繁瑣的步驟及美的布置,不過就喝茶罷了,為何要花那麼多時間布置、品茶?那是因為第一杯茶的功能往往只能讓喝茶人,進入緩解人類動物性之解飢解渴的本能,但人之異於禽獸,是在於能對美好的事物有所感受回饋,這也就是盧仝對第二杯茶感受的開始。

「兩碗破孤悶」,喝了第二杯熱茶後,身體開始暖和了,身體的安定感也漸漸產生了,會開始審視四周與日常生活有不同的環境氣氛了,心中也開始有了想念。

《金剛經》中曾寫道:「應無所住而生其心」,有人解釋為放下,但如何施行,並無想法。苦思困惑許久,趙崑秀終於發覺茶道其實是一種安定人心與時空漸進的過程,一種以茶漸進來安定己身,進而安靜己心,唯有定、靜、安之後,人才可能有清明的智慧,進而才能堅定己思己慮,不隨風而動,才有可能修正自己的做法,往進步正向邁進。

「三碗搜枯腸,惟有文字五千卷」,有了想念,當然會把欠人的和人欠我的,一起擺在心桌上,喝了第三碗茶,開始煩惱個人和社會的關係,從歷史經驗中可知,無論行使各種制度與主義,如果人類社會沒有愛,尤其在今日時代,沒有愛的世界,未來亦將不復存在,那就真的是「應無所住而生其心」。所以,一個愛己愛社會的飲茶人,怎能不關心其所在的人事物?

「四碗發輕汗,平生不平事,盡向毛孔散」,喝了第四碗茶,全身出汗,暖意幸福,開始放鬆,明白了人生有春夏秋冬,國有四時節氣,操之在我的,盡心盡力,而不操之在我的,豈能盡如人意。「圓滿,往往是有待時空因緣合和。」她在品茶中,時時期待著某種因緣的契合。

「五碗肌骨清,六碗通仙靈」,連續喝了第五碗、第六碗,身體的能量提高了,智慧也清明了,明白了愛的力量是有所本的,時空是連續傳承演化的,絕不是一代人斷絕後代生存空間的過程。所以在喝茶的過程中,要時時藉茶反省,藉茶練心、藉茶安定,在安定的力量中,內觀自己,並不斷地反覆練習,進而獲得幸福感。

「七碗吃不得,惟覺兩腋習習輕風生」,喝到第七碗,喝茶人便有機會進入一種對人生美好感動的境地,這就是為什麼茶到了唐代,就進而提昇為一種審美的藝術,進而能跨越時空,綿延久遠傳承至今,也就是說,茶道令人感動覺知,是茶道力量的來源。

 

品茶的覺知美感在內心

但如何才能獲得盧仝類同的飲茶感受?「感動是有層次的,我是藝術界出身的,從十多歲開始,就開始接觸各類藝術,藝術的感動如同看電影般,你在一段時間中去獲得人生的體驗,但其實那是很表面的。但一杯茶的滋味,你沒有喝過,你永遠無法體會那種深邃之感。」趙崑秀幾近陶醉地說著茶的好滋味。

「一個人對品茶的覺知,就是對自己心的照顧,是需要時間開發和各種材料來學習,才能達到茶道真正的感受力。」也就是說,一個人藉茶對自己投入越多時間和精力,就越能得到想要內在的力量。尋常泡茶,會感受到一泡茶滋味由香甜甘美漸進到淡而無味,有如從生到死的過程,茶生命在幾巡泡茶中,示法生老病死的過程,進而深刻地明白當下的力量,趙崑秀總想著釋放內心的痛苦悲愁,藉茶的品飲,將禪意安在心裡,解決內心種種不安。

長久以來,台灣製茶技術已臻成熟而精良,並收藏保存著各朝代老茶及茶具文物,同時也建立茶道實物實驗室,充實茶道的實質內涵,比如單是杯器的口型、朝代、材質,就能產生不同的茶湯口感,更不用說加上各種老茶、老茶壺……等不同變數的組合,畢竟茶道就是在學覺知細微美感,沒有這些感動的本質元素,就只能看茶表演及說茶故事了。

這些茶道的深刻體驗都在台灣,台灣不能不說是茶的幸福之地。

日文 英文

幸福へとつながる茶の道

文・林明隆 写真・林格立 翻訳・松本 幸子

この百年の間に台湾では、単に食べていければいいというだけでなく、より精緻で美的な、感動できるような、或いは精神や生活の質が高まるようなものを求めるようになった。茶道にもそれは表れている。茶道は社交、芸術、儀礼、修行という四大機能を持つが、最近ではそこに、科学的、芸術的、哲学や宗教的など、多様な美学的要素が取り入れられ、未だかつてない、台湾独特の新たな風貌を加えている。茶をどう飲めばいいのか、または茶を飲む過程はどのようなものなのか、専門家の話を聞いてみた。


茶の歴史が長い台湾は、日本、オランダ、スペイン、欧米など異なる文化の影響を受け、茶道文化も多くの変化を遂げてきた。故宮博物院で千年の歴史を持つ茶器が見られるだけでなく、最近では金銀の豪華な茶席や、インスタレーション・アートや前衛パフォーマンス、マルチメディアなどを組み合わせた茶の世界も登場している。しかも台湾は不発酵茶、半発酵茶、全発酵茶の三種とも生産する世界でも数少ない国の一つで、輸出先は全世界、130余りの国に及び、国際的にも名高い茶王国なのだ。

七碗茶歌

茶は、古代には薬材として使われたが、次第に改良が加えられ、やがて日常の飲み物として楽しまれるようになった。茶が体内に入ると、ある種の感覚が引き起こされる。唐代の詩人、盧仝は『七碗茶歌』(『走筆謝孟諫議寄新茶』のこと。陸羽『茶経』に並ぶ詩)で茶を飲んだ際の感覚を表現した。この詩は時代を経て歌い継がれ、広く伝えられた。各時代の文人茶人が茶を飲みながら、この茶歌を引用したことからも、茶を感じる心は時空を超えて変わらないことがわかる。

『七碗茶歌』は、盧仝が茶を7杯飲み進めた際の感覚を描写したもので、彼は生涯かけて茶を愛した。

一方、現代の茶人である趙崑秀は茶道を研鑽して20余年、多くの重要な国際アートフェスティバルを手掛けたキュレーターでもある。雄獅ギャラリー、誠品ギャラリー、太古踏舞団、当代伝奇劇場などの海外展覧会や公演、また花蓮国際石彫季、基隆国際芸術中元節、台北児童芸術節、苗栗国際仮面芸術節など地方自治体が催すアート・イベントも企画してきた。彼女にとって茶道研究は一生の仕事であり、「内観」「円融平和」「美学や芸術」「心静かにすれば茶自ずから香る」などの考えに基づき、台湾の茶文化発展に努めながら国際的な芸術交流を進めている。

今回、趙崑秀はわざわざ厳かな茶席を設け、茶について数々を語ってくれた。「こんなに長く茶道を学んできたのは、最初に茶道に接した時、まるで植物の種のように心が芽吹いたのを感じたからです。やがてその芽が成長し、周りの環境や人と呼応することで、私の茶の道は開けてきました」茶道の種は、幸福な心がある所にしか芽生えず、それが人生の幸福の故郷を作ることを、彼女はよく知っている。

茶道の序

『七碗茶歌』の1杯目は、心を定める茶だ。「一碗は喉吻がうるおう」とあるが、1杯目を飲む際、人の心はまだ準備の整っていない状態で、日々の忙しさに囚われた体も固く乾ききっている。そのため1杯目を飲んでも、おいしいぐらいにしか感じない。まして茶道をよく知らない人は「なぜ茶道はこんなに煩雑な手順や道具にこだわるのか、茶を飲むだけなのに」と困惑する。「現代人の枯渇した心」は、長年茶道を教えてきた趙崑秀には見慣れたものだ。つまり1杯目の茶は、茶を飲む人の動物的な渇きを癒すだけなのだ。だが、人は動物とは異なり、美しいものを感じ、そこから何かを得る。こうして、盧仝の2杯目の茶が始まる。

「二碗は孤悶を破す」2杯目の茶を飲めば体は温まり、徐々に体も安定していく感じがする。そこで初めて、日常とは異なる周りの環境を見つめ始め、心に考えや思いが生まれる。

『金剛経』には、「まさに住する所なくしてその心を生ずべし」とある。何事にもとらわれない心を説いているのだというが、ではどうすればそれはかなうのだろう。趙崑秀も長く悩んだ末に、茶道というのは人の心を安定させて前に進ませる過程なのだと気づいた。茶によって体を落ち着かせ、心を静めた後、人はやっと澄んだ知恵を得る。そうして初めて思考が定まり、周りに左右されることなく自分のなすところを正して、まっすぐ道を進んでいけるのだ。

「三碗は枯腸をさぐる、ただ有り文字五千巻」3杯目の茶を飲めば、個人と社会の関係を思い煩うという。考えることを始めれば、当然、人との関係が気になり始める。歴史を見ればわかるが、どんな制度や主義の下でも社会に愛がなければ続かず、愛がない世界に将来はない。したがって、自己と社会を愛する茶人は周りに無関心でいられるはずはない。

「四碗は軽汗を発す、平生不平の事、ことごとく毛孔に向かって散る」4杯目を飲むと全身に汗をかき、幸福な温かさに包まれて心身がリラックスし始め、人生にも大地にも四季というもののあることが理解できる。自分のやれることは精いっぱいやり、そうでないことは流れにまかせればいいのだと。

「五碗は肌骨清し、六碗は仙霊に通ず」5杯目、6杯目と続けるうちに体のエネルギーも高まり、さえざえとして愛の力というものがわかるようになる。時は受け継がれていくもので、一代で途絶えるようなものではない。したがって茶を飲みながら常に自己を顧み、茶によって心を安定させ、安定した心で自己を見つめる。それを繰り返し練習することで、幸福感が得られるのである。

「七碗は吃するを得ざるなり、ただ覚ゆ両腋習習として風の生ずるを」7杯目を飲めば、人生の美しさに感動する境地に至る。これが、唐の時代に、茶が美を愛でる芸術にまで高められたゆえんだ。また、はるか時を超えた現代になっても、茶道は人を感動させる。これが茶道の力だ。

美を知る心

では、どうすれば盧ةiの言うような境地に至れるのか。「感動にはレベルがあります。私は10歳を過ぎた頃から各種の芸術にふれ、映画を見るように芸術に感動してきました。飲んだことのない人には茶の味の深さは決してわかりません」と、趙崑秀はうっとりしたように語った。

「茶を味わうことを知ることは、自分の心を育てることです。時間をかけてさまざまな材料で学んでこそ、茶道の感受性が育ちます」つまり、茶を通して自分に多くの時間と精力を費やしてこそ、内在の力は身につく。飲み進めるほどに茶の豊かな味が次第に淡くなっていく過程は、生から死への歩みに似ている。その過程を味わいながら今ある力を深く知る。趙崑秀は、悲しみや苦しみを、茶を飲むことで解放し、穏やかな心でいられればと常に願う。

年月をかけて台湾は製茶技術を高め、時代ごとの茶や茶道具を受け継いできた。また茶道実験室なども作って茶道を充実させている。例えば、茶碗の形や年代、材質によって、或いは古い茶葉や古い茶道具の組合せによって、どう味が異なって来るかなども調べられている。

茶道とはつまり、細やかな美感を学ぶものであり、その感動がなければ、単に茶立てのパフォーマンスを見たり、茶の話を聞くだけに終わる。だが、台湾では茶道の深い体験ができる。台湾は茶の幸福の地だと言えよう。                                    

“Tea” Your Way to Happiness

Lin Ming-lung /photos courtesy of Jimmy Lin /tr. by Darryl Sterk

Over the past century, Taiwanese people’s lives have progressed from meeting basic needs for food and drink to the pursuit of a refined, soulful, aesthetic, emotive and spiritually uplifting lifestyle of superior taste. The way of tea has made progress, too. Traditionally, drinking tea has been a social, artistic, and ritual activity that is also a form of personal cultivation, but now the way of tea is also infused with diverse aesthetic elements derived from modern technology, installation art, philosophy and religion, brewing up a superb new style with a Taiwanese flavor.

 


 

The progress in the Taiwanese way of tea can be attributed to tea’s long history in Taiwan and to the instillation of Japanese, American and European culture, including Dutch and Spanish. Today, in the National Palace Museum, you can see Chinese tea sets made a millennium ago, material evidence of China’s ancient tea culture. Taiwan is one of the few countries in the world capable of producing unfermented, partially fermented, and fermented teas, which it exports to over 130 countries and which have gained Taiwan a worldwide reputation for quality.

“Song of the Seven Bowls of Tea”

What is tea? Upon first discovering tea, people only knew it as a medicinal infusion. As human wisdom worked upon it, tea was domesticated into an everyday beverage. But when tea flows into the human body, it produces a feeling of harmony with Nature that Tang-Dynasty poet Lu Tong celebrated in his “Song of the Seven Bowls of Tea,” a poem that has remained popular for over a thousand years, from the Tang through the Song, Yuan, Ming and Qing, until today, and is as famous as Lu Yu’s The Classic of Tea.

Lu Tong was a “tea-aholic.” “The Seven Bowls” describes the gradual changes in the taste of tea over seven steepings.

Tea master Chao Kun-hsiu, who has studied the way of tea for more than 20 years, is the director of Peaceland Art Studio, which has held a number of major international art festivals in Taiwan. For Chao, tea is a vocation. For her, “inward contemplation” is the beginning, while the way is the idea that “tea only releases its perfume in a peaceful heart.” The culmination is “peace and harmony” in communication. With a commitment to “aesthetics and artistry,” Chao devotes herself to the development of Taiwanese tea culture while promoting international artistic exchange.

To show us the way of tea, Chao held a solemn tea ceremony in which she elaborated on all things tea. “The reason why I’ve spent so much time studying the way of tea is because my heart was like a seed burst from the fruit that began to sprout upon my first encounter. Since then that seedling has grown tall and strong, and I feel blessed, as if I’ve been at the right place at the right time with the right people, who helped me along the way of my spiritual journey.” Chou has a deep understanding of the truth that the seed of the way of tea can only sprout in a happy heart and grow in one who seeks fulfillment through cultivation in the realm of tea.

In the beginning

The first bowl in “The Seven Bowls” steadies the heart. “The first bowl only moistens lips and throat.” People are usually unprepared for the first bowl. Drinking a tea of high quality, they just think “it tastes good.” Unenlightened observers often wonder why the way of tea requires so many complicated steps and aesthetic embellishments. That is because the function of the first bowl of tea is often just to quench people’s thirst, that is to say, to relieve the human animal’s physiological need to drink. It is only with the second bowl that one begins to appreciate the aesthetic subtleties.

“The second bowl can break one’s loneliness.” After drinking the second bowl of tea, people’s bodies warm up and relax, producing a sense of physical security. They start to observe an ambiance in the surroundings that is qualitatively different from that of ordinary daily life. Their minds become quiet and clean.

As it is written in The Diamond Sutra, one “should realize this state of mind by abiding nowhere.” Chao has found that the way of tea is a truly gradual process of settling down that begins with the body and proceeds to the mind. Only when they feel settled, peaceful and secure can people attain clear minds and resolute hearts.

“The third bowl purifies my heart and mind, and what remains is words of wisdom stored in all the books I’ve ever read.” After drinking the third bowl, people start to worry about the individual in relation to society. Whither human society in a world without love, especially today? Without love, there will be no future. And then there would literally be “nowhere to abide.” Thus, how can a tea drinker who loves both self and society remain indifferent to people and things around them?

“The fourth bowl causes one to lightly sweat, flushing doubts and troubles through the pores.” Drinking the fourth bowl, one realizes that to everything there is a season, and there will always be ebb and flow in any life, highs and lows in any land. You should therefore change what you can and accept what you can’t.

“The fifth bowl purifies my flesh and bones. The sixth bowl is communion with the saints.” Drinking the fifth and sixth bowls in a row boosts the body’s energy and clears the mind, making you realize that the power of love has a source, and that one can train the mind and settle oneself down by drinking tea. Via inward contemplation, and continual, repeated training, one can attain a sense of joy.

“The seventh bowl I do not taste at all, I only feel a wind beneath my wings.” The seventh bowl is a chance to enter a realm where one is touched by all the graces of life. This is how drinking tea touches one, transforming one’s emotions and awareness. This is the source of its power.

Subjective awareness and aesthetics

But what should people do to experience the same sensations as Lu Tong? “If you’ve never savored the flavor of a bowl of tea, you will never know the profundity of feeling that lies within,” says Chao Kun-hsiu, almost intoxicated with the taste.

“Awareness in the act of drinking tea is a way to care for one’s self. It takes time to master the materials and attain a true tea sensibility.” As one repeatedly steeps tea, the flavor goes from fragrant to flat, from sweet to insipid. The seven bowls are just like the stages of life, from birth to age, sickness and death, as the Buddhists sum up the sorrows of existence. Yet the insight granted by successive steepings is the power of the present moment.

Taiwan’s tea processing craft has undergone long maturation and refinement. There are collectors of old teas and antique tea sets from different eras, but there are also laboratories where the way of tea is studied, substantially enriching the way of tea. For instance, selection of the bowl by the shape of its mouth, the era, and the material can produce different mouthfeels—different textures in the mouth—not to mention teas of different vintages and teapots from different dynasties. After all, the way of tea is a study in the awareness of the beautiful subtleties of life. Without these essential emotive elements, the way of tea would be mere performance and storytelling.

Taiwan, the place to go to gain profound insights into the way of tea, can only be described as a happy land of tea.

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